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ギャップの狭間 [days]

まず最初に、今回の東北地方太平洋沖地震において被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。




どらみだよ。
(あーこれ書くのいつぶり?!パソコンから更新するのいつぶり?!)




この記事は上げようか、上げまいか迷ったんだけど、
きちんと吐き出してしまわないと、ずっともやもやしているので上げちゃう。
そうだよ、自己満。ごめんね、どらみは自己中なのだ(苦笑)

どらみは関西にいるので、テレビなどを切って、ツイッターにアクセスするのを止めれば、
周りには平和な世界が広がっています。
今日は絶好のお出かけ日和で、洗濯日和で、お掃除日和。
いいお天気なので、何をしていても幸せな空気です。

でも、でも。
テレビから離れるのや、ツイッターをチェックしないのは難しい。

今日はとにかくどんなに、情報枯渇への不安が出てもテレビをつけないと決めたけど、
それでもテレビで今どんな状況なのか知りたいという思いと葛藤してる。
(ツイッターはたまにチェックしちゃう)
そんな葛藤しなけりゃいいじゃん、って思うよね。
でも、これ以上情報があるとはいえ、地震に関しての映像や声を聞くのはどらみ的に無理。
無駄なところで想像力が豊かで、しかも全然強くないどらみは、無理。
ツイッターでRTされる海外からの日本人の天災への理性的で団結した対応への称賛や、
地震発生時の周りの人の助けに感謝しているつぶやき、
心温まるなんて表現がぴったりな、そんなものでさえも、心をざわつかせるようになってしまった今。
最初はとっても嬉しかった。
今でも、そういうRTが流れてくると感動する。誇りに思う。
でも、悲しみは消えない。
その場にいないのに、悲しみを共有しているという錯覚。
今は、祈るしかないでしょ。
できることはする、それだけ。
悲しむことがどんなに無意味か。

でも、テレビの映像は悲惨で、しかもずっと。まるで、終わりは見えない。
日本で起きたことは、私の身に降りかかったも同然と、悲しみを共有しようという本能を制御できないし、する必要もないと思う。
でも、どらみの基本的な考え方は、本能がどう悲しみに共感を抱こうとしても、
一億総喪中の雰囲気には否定的。

現在、家もちゃんと建っていて、道路も壊れてないし、停電の心配もない。
何もなかったような世界が広がっている私たち非被災地の人間。
悲しみに共感するのもひとつの考え方だけど、
どらみは元気に笑っていたい。
笑える人間が笑って、その笑顔を絶やさないでいたい。
今笑えない人が、笑える日まで笑って待っていたい。

情報の中にある現実と、
今いる場所にある現実と、
それらにあんまりにもギャップがありすぎて、少々混乱してきた模様。
それから、
悲しみに共感しよう、悲しみを共有しようとしている本能と、
みんなで沈みきるのはいやだと、考える意思と、
それらにもギャップがあって、心がざわつくのが収まらない。

たぶん、このふたつのギャップに、だんだん耐えられなくなってきた。
どらみはやっぱり弱いなぁ。
特に普段、能天気でプラス思考な人間だから防げない悲しみに直面したとき、弱さがもろに露呈します。
ほんとはそういう弱い自分大っきらい。でも、正直自分でも弱いなと実感するのがこういうとき。
テレビを切っても、ツイッターを閉じても、
心がどこかざわついていて、胸が苦しい。

ということで、何が言いたいかと申しますと…
健康でいるべき人間が健康でいて、力強く支えられるように、すこし地震のことを忘れます。忘れる努力をします。
ちゃんとバランスを保っていたいね。

んじゃ、今からクレープ焼いてきます:)
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